愛着
ジョイカル流山店で愛車の修理をして頂きました。






| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ジョイカル流山店で愛車の修理をして頂きました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2001年、韓国のレースを終え、TOJへ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
昨日、怪我のエキスパート増田と電話でお話
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ツールド韓国で山岳賞を取った私は最終日のクリテリウムで総合を狙う。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
朝、駐車場の地面を見るとオイルのニジミが
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
Jプロツアー全てのレースが終わりましたね
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
2001年シマノ3年目。プロ6年目の4月。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
シマノでエースになる為にはどうしたら良いか?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
シドニーオリンピックを決めたシマノレーシング。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
オリンピック選考会、ラスト半周でレースは動いた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近、また回復を感じる事ができるようになってきました
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
2000年オリンピック選考会を兼ねた全日本選手権。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
1999年11月。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日はトレーニング休養日
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
1999年ツールド北海道。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
外野からの応援が続いてる私ですが、今回はチームが参加していないので、誰を応援しようかな・・・。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
1999年全日本選手権。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日もコナミスポーツでトレーニング
世の中のサイクリストはジャパンカップで盛り上がってるんだろうな
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最高の状態でレースを向かえる事ができたチャレンジロード。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
今日はウエイトは無しで、スピニングトレーニングに集中
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
初戦西日本チャレンジが終わり、次戦チャレンジサイクルロードに参加。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
退院後、初の検査を受けました
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
スポーツクラブで、鈴木先生に遭遇
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
夕飯に間に合わせる為に残り60キロチームタイムトライアルで帰る。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
骨折して、骨が固まればすぐ練習と思っていたが甘かった
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
シマノの入って初の白浜合宿。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
和歌山県白浜町にシマノの保養所が有る為、比較的温かい白浜町で毎年合宿が開催される。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
1999年シマノレーシングは、本当に強い者が揃っていた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
久々の現場。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
契約が終わり、ブリヂストンの社宅を退去。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
当初予定していたレイクサイド・サイクルフェスタ・霞ヶ浦エンデューロ、怪我の為、参加を見送っていましたが、レース解説やステージでお手伝いさせて頂く事になりました
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
今迄、色々な自転車に乗って来ましたが、38歳になる私を支えてくれた自転車がEVOだった。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
プロ4年目のシーズン、シマノレーシングで走る事になり年末、大阪へ契約の為に行く。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
入院中、自分でカットしてしまったので、髪の毛バラバラ
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
入院から1カ月が過ぎ、リハビリは足に三分一荷重かけて良いようになる。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
来季に向けて契約話の時期。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
骨折だけでなく、血栓と言う大きな難題が持ち上がってしまった事で、先行き不透明感が出てきてしまった頃、気持ちは揺れ動いた。
実は血栓について全然知らなかった私は、その時かなりパニックになっていた。
先生や看護師の皆さんに質問を繰り返す日々。
一番の心配はいつ競技復活出来るかだった。
血栓の薬はどのぐらいで辞めれますか?
薬を飲みながら選手はできるんですか?
点滴が取れて初めのうちは、これは引退も考えなくてはいけないなと思った。
仕事を見つけなくてはと焦っていた。
そんな時、シマノ時代お世話になっていたドクター熊井先生が病室まで面会にきてくれました。
熊井先生から選手復帰は出来ると言う言葉に少し気持ちが落ち着く。
しかしいつ復帰できるかはその時点ではわからなかった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2年目のシーズンは成績も上々で終了。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
今朝起きたら傷口の痛みが少し和らいでました
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
先が見えない状態でベット安静。
その時は選手どころでは無かった。
主治医の先生に聴いても、経過を見ながら処置して行きましょう・・・。
足に刺激を入れないでください。
血栓が飛んだら一発で危険な状態になるから・・・。
点滴で固定される時。
安静にと言われた時は、目の前が真っ暗になった。
途方にくれる感じだった。
夜、もし死んだらどうしようと思い、携帯に遺書的物を残しておいたりした。
2日3日に一回血液検査とエコー検査で血栓の状態を調べる日々。
一週間は改善も見られず本当に不安でいっぱいだった。
そして一番危険な血栓が解けてなくなった日。
点滴が取れて、ベット安静が解除された。
何も身体についてないのが、こんなに嬉しいなんて!
普通に生きて行けたら良いと思った。
選手と言うより、今後どうやって食べて行こうと思い始めた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ブリヂストン一年目は社員として入社したが、実は2年目から契約社員として契約した私。
特に社員に興味は無く、会社に行ってから練習に行ったり、地元神奈川に帰って練習する事が多かったので、社員だと不都合があったからと言う理由で契約選手に変更。
契約選手の特権としては、社員より成績が良いと給料が良い。
レースで勝つと報奨金制度があった。
2年目は成績が良かった事もあり報奨金も入りウハウハだった。
3年目の給料は非常に良かった。
まさに金のモウジャとかした私。
目の前の餌に食いつく。
周りの選手に海外で走れば成績出せると言われることがあった。
海外で走りたい気持ちはあったが、この時点では、海外にチャレンジするなんて事は考えられない状態だった。
お金とは怖いもので、人間の弱い所をついてくる。
当時監督だった浅田さんに、言われた一言。
お金を追及し過ぎたら自分の首を絞める事になるぞ。。。
その言葉を肝に命じたのは、何年も経っての事だった・・・。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日も体育館へ行ってきました。
リハビリ開始時は膝を曲げる事が困難でしたが、ここまで出来るようになりました
毎日前腿をストレッチしていたので、今日初めて正座にチャレンジできました
筋トレとローラーで身体が疲れ気味?自宅に帰って来たら疲れて
そうそう
結局今日も、ゆっくりローラーを乗る事ができず、回転ダッシュ練とかして、バテバテに・・・。
明日からはゆっくり乗れるように、音楽を聞きながら乗ってみようと思います
そして午後は、愛車を取りにジョイカル流山店へ
落車前にチームカーと乗り換えて合宿へ出発したっきりだったので、入院中は預かって頂いてました。
お陰でバッテリー上がりも無く、洗車までして頂いてしまい、綺麗な愛車に2カ月ぶりに
会う事ができました
落車当日、若い選手の面倒まで見て頂き、本当にご迷惑かけまくってしまいました。ありがとうございました。
車の事なら是非、石井さんに相談してみて下さい
予算に応じて色々やってくれるので、本当に助かってます
またよろしくお願い致します
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
痛みとの戦い。
今後どうするかの戦い。
結果は簡単だった。
現役続行だった。
皆からのコメントや励ましを受けて、断然やる気になった私がいました。
入院した事で、応援してくれてる方々が沢山いる事がわかり、活躍して皆を喜ばせたいと思った。
しかし術後10日ぐらいで、血栓発覚。
リハビリでは松葉杖の練習を開始していた。
日に日に良くなって行くんだと思い、毎日を過ごしていた。
血栓発覚後はリハビリは中止され、ベットからトイレ以外動かないでと指示される。
看護師の皆さんが、苦しくないですか?体調大丈夫ですかとひんぱんに来る状態。
腕と足から点滴。胸には酸素摂取計。身動きが一気に取りづらくなる。
いつ取れるかわからない日が何日も続きました。
そしてモチベーションもだんだん薄れて行く事に・・・。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
海外に行きたい気持ちはその時は無かったが、勝ちたいと思う気持ちは強くなっていた。
ツールド東北でトップクラスで戦える感覚が芽生えた。
秋のビッグイベントジャパンカップ。
当時はプロとアマが分かれていて、国内チームは皆、アマチュアレースに参加だった。
ここでも、東北でつかんだ感覚でレースに挑む。
レースは数名の逃げを、ニッポン舗道が追う展開。
ここでもニッポン舗道がレースを動かしてくる。
数名の逃げにはブリヂストンから藤田さんが逃げに乗っている。
後半すさまじい引きでタイム差を短縮していくニッポ。
集団の人数が減って行く。
ラスト周回。
登りの麓でタイム差50秒差。
一気にペースが上がり、各チームのエースに付いて行く。
登り中腹で、一気にアタック。
頂上を一人で通過。
前には3人逃げている。
平坦を全速力で追う。
当時スピナッチと言うハンドルバーがありここで大活躍してくれる。
そして前の3人と合流。
藤田さん。飯島さん、真鍋さんだった。
飯島さんが揺さぶりをかけて、ラスト1キロで飯島さんと私の勝負になる。
スプリントで初めてビッグイベントで優勝する事になる。
こうして一気にトップレーサーと肩を並べる事ができたシーズンとなるが、翌年、大ブレーキが・・・。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日も体育館でエルゴローラー。
先ずは10分軽く回して身体を温めてから、腿とお尻中心に軽い筋トレ。
筋トレが終わったら、35分エルゴローラー。
90回転で90心拍から始める
予定では1時間、100心拍前後で血を流すイメージだったが
だんだん心拍を上げたくなってくる
回転もどんどん上がって100回転以上になったりする。
気持ちがどんどん練習モードになっていく。
汗が滝のように流はじめる
転倒前の感覚がよみがえり、普通以下の身体でどんどん回転が上がっていってしまう。
数分踏んでると、足がジンジンしてくる
アドレナリンが流れ気持ちを抑えきれない
キツイ・・・。
このペースで続けるのが辛いと思い、結局10分メニューになったしまった。
10分×1本 100回転120心拍。
今の身体でできるメニューがここまでだった
その後、5分休憩して、またメニューをしてしまった。
今度は
10分間で徐々に心拍を上げて行くメニュー。
初めはの5分は100回転110心拍。
ラスト3分 110回転120心拍。
ラスト2分 120回転以上150心拍。オールアウト・・・。
足がガクガクでジンジン痛い。
足のジンジン具合が心配になるが、大丈夫かな
血液検査したい今日この頃です
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下半身麻酔で貴重な体験?を経験した後は、もっと辛い事が待っていた。
術後、病室に帰ってきて、その日は寝たきり生活だった。
次の日から車椅子乗っても良いよと言われたので、次の日を楽しみにする。
しかし、手術後の夜は本当に痛くて大変だった。
看護師さんが1時間ごとに来てくれるのだが、大丈夫ですか?と声をかけてくれる。
痛み止を点滴で入れ、座薬、飲み薬、眠り薬と色々使ったが寝る事は出来ず、長い夜を過ごす事に。
途中、麻酔の影響からか、気持ち悪くなり、目の前が真っ暗になっていく・・・。
手術中の事を思い出す。
術後の夜は本当に辛く二度とこんな思いはしたくないと思いながら過ごす。
そんな状態でパソコンを横に見ていると、皆からの温かいコメントが沢山寄せられて、本当に力になりました。
ブログを更新するのが辛かったが、皆とつながってる感じがモチベーションとなりました。
幸せだった。
術後は沢山の方々がお見舞いにくてくれて、長い入院時間、痛みを忘れてアッと言う間に過ぎていった。
入院生活は痛みとの戦いと、もう一つ今後どうするかっていう戦いもありました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
絶好調で向かえた第四ステージ。
比較的平坦コース。
一カ所500mの登りがありそこが力の見せどころ。
俺は強いと思っていた当日。毎週のように登りでアタックする。
後ろを見るとジョルジョがぴったりマークしてくる。
アタックすれば皆ついてくる。
楽しい。
後ろを見ると一列棒状になってるのが見える。
後半になると、登りでジョルジョと2人になったりするが、ジョルジョは前には出てこない。
2人になり逃げようと言うと、答えはNO。
リーダーだから当たり前なのだが・・・。
ラスト周回、全ての力を注ぎ、登りでアタック。
ジョルジョが少し遅れる。
これはチャンス。
平坦も全開で逃げるが、結局捕まってしまった。
そしてゴール。
総合は逆転できず2位だった。
レース後、ジョルジョに声をかけられ、お前なんでヨーロッパに来ないんだと言われた。
当時、お金も十分もらっていたし、行く勇気がなかっただからだろう。
目の前の餌に食いついていた私は、その時、海外に行きたいという考えは無かった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は近くの体育館へ行ってきたんですが最高級のエルゴローラーに出会いました。
チームで使ってるTACXも良いのだが、まだロードレーサーに乗る事ができないので、エルゴローラーで先ずは練習。
乗ってみると、踏み味がスムーズで足に均等に力を入れる事ができる。
重くしてみると、やはり全角度うまく重さが均等に伝えられられてる感じがあって気持ち良く踏める。
そしてもっと凄いのが、110回転まで回しても負荷が均等にかかってる。
これは復帰に向けて大きなパートナーになると思った。
市民体育館なのに最高級?のエルゴローラ完備。
流石大都市松戸。
そんなエルゴローラーで今日は軽く練習。
負荷より、先ずは回転で血の巡りを良くする為に、100回転で10分回す。
心拍も入院中は90心拍までしか上げてなかったのにすぐ100心拍を超えた。
無理してはいけないのだが、つい真剣になってしまう。
一度130心拍まで上げて15分で終了。
ひとつ残念な事が。。。
窓に網戸が無く、乗ってる途中に蚊に刺されて気になる。
かゆくてどうにもならなくなり、15分で終了なのだ・・・。
今度行くときはベープに虫除け塗って行くぞ~。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
4日間足を釣られた生活が終わり、手術。
下半身麻酔だったので、意識が有る中での手術でした。
思い出としては、手術中、血圧が下がりはじめ、先生何か気持ち悪いですと言う。
真理)何か冷や汗が出てきました。
真理)先生何かやばいです。
真理)目の前がチカチカしてきました。
真理)何かおちそうです・・・。
真理)無言・・・・・・・。
先生)「血圧戻すくすり入れたから」
真理)無言・・・・・・・。
真理)何か少し良くなってきました。
先生)後もう少しで終わるからね。
真理)だいぶ良くなってきました。
真理)凄く良くなってきました。
何かハイテンションになっていく私がいました。
何か良くわからないけど、すごく良く覚えてる手術中となりました。
あとここでも、電動ドリル工具の音がしてちょっとビビりました
下半身麻酔で手術中の体験もできたし、いい経験になったと心にいい利かせてポジティブに考えようとするが、やっぱり出来る事なら手術は受けたくないですね。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
ツールド東北第三ステージの朝。
心配だった膝も痛みが引き一安心。
第三ステージは勝負の日。
アップダウンが厳しいコース。
積極的な走りで、6,7人の逃げに乗る。
この日は本当に調子が良く、ラストはたしか4人でのゴールスプリントになった。
この日のライバルはニッポの外人ジョルジョ。
チームメイトの柿木さんがジョルジョの為にラスト引く。
ジョルジョがスプリントに入り私もスプリントに入る。
一瞬抜き去るが、失速して2着。
当時、一瞬のスピードは自信あったが、持続力がなかった。
しかし、ジョルジョと優勝争い出来た事は本当に自信になった。
17年のプロ生活で本当に調子が良く、強かったと感じる時が数回ありましたが、この日と、次の日(第四ステージ)だった。
そして第四ステージ。
攻めて攻めまくる!!
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は自宅近くでリハビリをやって行く為に、千葉西総合病院へ行ってきました。
紹介状を書いて頂いたので、すぐ診察して頂けたが、レントゲン・心電図・エコー検査と再検査。
エコー検査で血栓がほとんど無い?と言われたけど、実際はどうなんだろう
循環器の先生が言うには、細かい血栓は飛んでも問題ないと言っていたのでポジティブに考えていこう
全ての検査・リハビリが終わってから、念願の針治療をセドナ整骨院へ受けに行ってきました
久々に大谷先生に会えて嬉しかった~
やはり落車前の身体とは別人と言われ、先ずは固まってしまった傷口を針でほぐして頂きましたこの傷口が早い段階でほぐしておかないと今後大変みたいです
針治療後はマッサージ
傷口と膝周辺が鉄板のように固まっていて、痛いのなんの
ほぐして頂いた後は、曲げると痛かった膝が普通に曲がるようになりました
ただ、歩くとまだ骨の方が痛いらしく、もうちょっと辛抱しないとですね
その後は鈴木整形外科に足を運び、怪我の状態と今後の進め方を相談
今が一番練習もできないし辛い時との事
半年もすれば普通にもがいてると言われ、やる気満々
病は気から。
復活はやる気から
| 固定リンク
| コメント (5)
| トラックバック (0)
救急車で病院まで搬送された私。
救急差の中で横になりながら少しでも足を動かすと痛い。
今迄、どんな落車をしても足の骨は折った事がなかったから、骨折してるかなとか深くは考えてなかった。
病院に到着後、検査する。
ベットからベットの移動が目ん玉が飛び出るぐらい痛い。
検査結果は大腿骨骨折と言い渡された。
折れてるんだと、特にビックリする事はなかった。
スグに入院と言われ、処置室に入る。
しばらくすると、主治医の先生がきて、足を引っ張る為にスネに針金を通しますと言われた。
え!!!
痛いですかと聞くと、局部麻酔をかけるから大丈夫と言われた。
穴をあける時がビビる。
見るからにドリルって工具で音まで普通の工具。
見る、聞くでビビって最後は、振動でビビって終了。
そしてこんな状態が4日間続いた。
重りをつらさげて、足を引っ張ってるんですが、これが思ったより痛みが無くなり良かった。
現在はスネの穴も何もなくなって普通の状態になりました。
この期間、ブログで転んだ事を発表。
その反響にビックリとするとともに、みんな見てくれてるんだなとポジティブになっていく。
それから心に変化をもたらしてくれる事が沢山ありました。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
ツールド東北。
第二ステージチームタイムトライアル。
この日も前日強打した膝は痛かった。
チームは取り合えず私をゴールまで連れて行き第三ステージで戦う事を選ぶ。
スタートラインに並び、チームはスタート。
まったく集中していない私。
ここでスタートしてしばらくして膝が痛く私は集団から遅れてしまう。
痛いしプレッシャーから、ふて腐れて集団から遅れる。
自分の事しか考えられなかった当時。
足を止めて私を待つチームメイト。
皆の視線が怒っていた。
フグに真理声出して呼べよと怒られる。
ゴール後、雰囲気は最悪だった。
でも自己中の私は空気を読もうとはしなかった。
そして第三ステージへ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
自宅に帰ってきて、生活が大変じゃないのに大変と思うようになってます。
病院生活では食事も用意されて、片付けも全てやってくれます。
今朝、食事を食べようとするが、パンを焼くのが面倒・・・
コーヒーを入れるのが面倒・・・
いつも卵をレンジでチンするんですが、それも面倒と思う私がいました
結局、卵は止めて、ジャムパンで終了する事に・・・
朝食後、流し台に皿を運ぶ。
いつもなら洗って、流し台を綺麗にするのだが、面倒クサい・・・。
動きずらいのは仕方ないですが、何をするのにも面倒だと考える自分がいました。
病院生活で完璧に怠け者になってる私は、やばいと思い、松葉杖を持ちながら流し台へ。
皿を洗い、いつもの生活を意識するようにする。
頭を動かすのは苦手だが、身体も動かさなくなったら、本当にダメ人間になっちゃう・・・
不便じゃなくなったら、凄く動ける男になってるかな
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
落車してから、もう2カ月が経とうとしている。
転んだ時は足を少しでも動かすと痛かった。
今迄とは違う感じだった。
雨の中、道路上で横になって身動きできない私を見て、若い衆は動揺している。
私は動揺しないように装うが、身動きできなく何もできない事に焦った。
救急車を呼んでもらう。
救急車が来るまでの時間、若い衆は本当に長い時間に感じただろう。
救急車に乗り、原川に何もできない私は父の連絡先を渡し、後は父に任せた。
私以外、車を運転できる(保険の関係上)選手が居なかったからだ。
転んだ日は、神奈川の山奥。
合宿初日だった。
これからやるんだって時に、全てを台無しにしてしまい、若し選手の大事な時間を無駄にしてしまった。
あのまま合宿が無事に終了していたら、もしかしたら若い衆に何かのきっかけをつかんでもらう事が出来たかもしれないと思うと、残念で仕方が無い。
そして合宿は初日で打ち切りになった。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
優勝出来たら良いなから優勝したいと思い始めた私。
しかし周りの選手に俺は強いと思ってもらいたい気持ちは変えられず、無駄足が多い走り多々だった。
大きなチャンスが訪れる。
当時主要レースとして開催されていたツールド東北。
第一ステージ。
アップダウンの厳しいコース。
レース途中、ギアシフトミスをしてしまい、膝を強打。
膝を打った後は、ゴールまで膝をかばいながら走る事に。
何とかゴールするが優勝者と数秒取られてゴールする。
チーム内で一番成績が良かった私は、チームのエースを任される事に。
走る前からエースを決めて走るレースは少なかった当時。
緊張と言うより、やったぜって気持ちの方が強かった。
しかし膝が気になる。
第二ステージ。
チームタイムトライアル。
ここでのルールはタイム差ではなく、1位から2位のチームに10秒+していく。
3位だったら20秒。。。。
そして事件を起こしてしまう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ツアーオブジャパンの映像を見せた時、もう一つの映像も一緒に彼女に見せた。
プロ2年目になり、アンダー強化の為、ナショナルチームに入っていた私。
ツールド台湾で初日いきなりステージ優勝をしてしまった私。
メディアに大きく取り上げられた映像も自慢げに彼女に見せた。
ツアーオブジャパンと一緒でかなり生意気なコメントを残している。
それを見ている時の彼女の顔は凄いでは無く、特に興味がなさそうにも見えた。
たぶん自慢げに映像を見せてる姿が気にいらなかったのかもしれない。
そんな時、東日本実業団ピストレースに参加した。
そこでエリミネーションって競技で優勝する。
レース後、彼女に優勝したと連絡すると、凄いと喜んでくれた。
その時の事を今でもすごく覚えている。
今迄は優勝出来たら良いなと走ってしたが、優勝したいと心から思うようになっていく。
心に大きな変化をもたらしてくれた。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
明日の退院を目の前に今日も病室で知り合った坪〇さんから差入れを頂いてしまった
入院して初めてしった湘南で有名な洋菓子屋(アシ)の差し入れを頂いて、合い部屋の自動車整備士とティータイムを楽しみました
その自動車整備士の彼も明日退院と言う事で、退院後ドライブでも行こうと話に・・・。
電話番号を交換して、暇をみて箱根へドライブだ
楽しくなりそうだ
そして今日のリハビリでも嬉しい事が
理学療法士の綺麗なお姉さんと番号交換
って事はしてませんが
ストレッチや可動域も解除、自分の力で足を動かしても良い事になりました
こうなると普通に歩けるようになるのも早くなりそうです
今現在は普通に歩くと言うより、足を着くと痛くてビッコ引いて一生懸命足を引きづって歩いてる感じなので
股関節周りがカチカチで動かすとゴリゴリ言います
早ければ今月中にもローラー台で普通に自転車に乗れるようになるかな
この文面から、どうも調子こいてる感じがあるな
浮かれて転倒・・・再入院にならないように気をつけなければ
| 固定リンク
| コメント (7)
| トラックバック (2)
私の考え方を大きく変える出会い。
妻との出会い。
ツアーオブジャパンの映像を彼女に見せる。
思いもよらない答えが返ってきた。
なに?自慢・・・。
自慢のつもりはなかったが、今考えると、放送されて鼻高々だった私は自慢げに彼女に見せたのだろう・・・。
その時は慌てた・・・。
その後、雨のレースになると雨得意だもんねと言われる始末・・・。
あれから15年経っても雨が降ると未だに言われる。
笑ってごまかす・・・。
そしてあるレースを切っ掛けに貪欲さが出始める。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
小室さんと岡の年齢差24歳
私と息子との年齢差24歳
もし息子が自転車をやっていたら、一緒にレースを走れるのか
小室さんの優勝は色々な人に、夢を与えてると感じるな~
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
プロ生活2年目に入り、私を大きく変える出会いがあった。
この年、ツアーオブジャパン初日、大阪大会で4位に入り、鈴鹿大会で逃げに乗り9位。
総合で5位につけた私はメディアから注目される事になった。
新聞では髪の毛をアフロにして気合を入れた期待の若手と紹介された。
修善寺ステージでは雨だった。
ここでテレビ中継に鈴木さん雨ですがどうですか?と質問に、雨得意なんでと、いきがった顔で答えてる映像がテレビで流れた。
結局、修善寺ステージは撃沈した。
しかしテレビに注目された事で満足していた私。
放送後は鼻高々だった。
ツアーオブジャパンも終わり、ここで大きな出会いが訪れる。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)