ひめゆりの塔
ツールド沖縄を走った後、仕事を休んで少し観光をしてきました。
沖縄に来たのは1991年、1996年、2000年、2005年、2007年
そして今回で6回目。
最初に来た時に家族で「ひめゆりの塔」に行ったのですが
当時は20歳と若かったこともあり、歴史などにはあまり興味が湧かず
せっかく訪問したひめゆりの塔ですが、残念ながらほとんど記憶に残りませんでした。
それから20年以上の時を重ね、いくつかの死にも立ち会い
20歳だった時に比べて少しは物事の本質が見えてくるようになった今回の訪問。
厳かな気持ちで資料の一つ一つを読んだり、戦火を生き延びた人たちの
体験談を語ったVTRなどを観たりしてきました。
また、実際に沖縄戦を体験した女性に出会うことが出来
彼女の話を聞いているうちに「もっと知りたい」というモチベーションが湧いてきて
体験談をまとめた書籍を買ってきました。
ただいま読んでいる最中ですが、実際にこのようなことがあったのか・・・と
息をのんでしまうほどの地獄がつづられています。
教科書では決して知りえない生々しい戦争の事実がそこにはあります。
「 戦争はもう絶対にしてはならない
私の命はもうそれほど長くはないけど
若いあなた方に平和を託します。
だから、生きているうちは私は話し続けます。」
と、その方はおっしゃっていました。
つい目頭が熱くなりました。
真実はこちらが知ろうと思わなければ知ることは出来ない。
歴史を学ぶこと、戦争を繰り返してきた過ちに気づくには
歴史から学ぶしかありません。
国と国の欲が招いた悲劇。
もう二度と繰り返してはいけませんね。
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コメント
ひめゆり学徒隊の皆さんは「私達は生き残ったのではない、生かされたのだ」と仰り、ご高齢にもかかわらず自分たちの体験を語り継ごうとお話をされていますよね。今はあの方達の願った未来になっているのだろうか、いつもそんな思いにさせられます…
美ら海水族館への緩い登りの途中で応援させて貰いました。集団の先頭を牽く小室選手の姿が無茶苦茶格好良かったです!
投稿: 雨男 | 2012年11月29日 (木) 09時08分
雨男さん
コメントありがとうございます。
戦火を生き延びた人々は、
たまたまヘアピンが落ちてしまい、
それを拾おうと屈んだ途端に壕に投げ込まれた爆弾が爆発して
友達は亡くなってしまったけど自分は助かってしまった…など
同じ場所に居ながら自分は生きてしまったという
罪悪感にも似た気持ちに苛まれて大変苦しんだようですが
おっしゃる様に「生かされた」という使命感で
今は頑張っておられる様子でした。
話し合い、許し合い、認め合う
それが出来れば多くの事柄が上手くいくと思うのですが
出来る限りそのようにありたいものです。
投稿: 小室 | 2012年11月29日 (木) 22時57分
こうゆうブログで語られた内容、素晴らしいです。小室さんはさすがに大人です。
私の菩提寺の住職は観音様の夢のお告げで「先の沖縄戦の亡くなった人たちの菩提を慰霊するために沖縄にお寺を建立しなさい」ということで糸満市の潮平にお寺を開山しました。ひめゆりの塔からは5K位です。その関係で、2回沖縄に行きました。
佐藤GMにも話しましたがあまり興味はないかな?
来年、沖縄に参戦の際はぜひお立ちより下さい。
沖縄山「長谷寺」岡田弘隆住職 素晴らしい木造の十一面観音像があります。
今度お会いしたらそのの話を。
投稿: 米山 章 | 2012年11月30日 (金) 22時41分
米山 章さま
コメントありがとうございます。
来年も沖縄に行く機会がありましたら是非とも行ってみたいと思います。
人は自らが体験した辛いことを意味のあるものにしたいのだと思います。
そうしなければ報われないですからね。
また近いうちにお会いできると思いますので
ぜひお話を聞かせてください。
楽しみにしています。
投稿: 小室 | 2012年12月 1日 (土) 00時01分
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 株の購入 | 2012年12月15日 (土) 18時41分